大館市北部の花岡町で、県指定文化財の鳥潟会館(旧鳥潟家住宅)のライトアップがはじまりました。
なんか、いい感じです。
表門

外露地のアプローチ

外露地から正面玄関を望む

カマクラ

カマクラ内部

中門

内露地の通路から四阿(あずまや)を望む

暗くなるとこんな感じ。

ろうそくの灯は雰囲気があって、とても幻想的ですが、五稜池の周辺は、投光器の人工的な光が、和風庭園の趣を落としているようで、ちょっと残念です。
【旧鳥潟家住宅とは】
1762年(宝暦12年)に建築された主屋を1911年に敷地内で現在の位置まで曳家して、それに京風の意匠を取り入れて増改築された建物です。大工棟梁として京都の成行兼太郎、庭師として京都の植治門下であった粕谷幸作が携わっています。
鳥潟家は、慶長年間(400年以上前)のころから、代々花岡村の肝煎(村長)を務めており、幕末から昭和のはじめにかけては、世界的に活躍した人々を輩出しています。
鳥潟隆三:京都帝国大名誉教授。医学博士。日本外科学会の会長を2期務め、コクチゲン(鳥潟軟膏)などを創製。大阪に鳥潟免疫研究所やその付属病院を創設。外科の名医として知られていたため、北は樺太から南は台湾まで患者が集まったとのこと。ドイツ語での著書が複数あり、現在でもドイツの中古書店で入手可能。ネットで検索してみてください。ローマ字表記はRiuso Torikataです。
ちなみに、鳥潟会館の増改築を行ったのは彼です。
鳥潟右一:数々の発明を成し遂げた工学博士。花岡や小坂の鉱山を歩きまわり、種々の鉱石を収集し、研究の末、鉱石検波器(Crystal detector; よく雑誌の付録についてくる鉱石ラジオの心臓部)を発明。このほか、TYK式無線電話機(世界で初めて音声を無線に乗せた)の発明や、双方向通信に世界で初めて成功するなど数々の業績あり。
彼は、無線電信のみならず、医療機器や家電分野での特許も多数保有しており、鳥潟式レントゲン、炊飯器、洗濯機など(ほか多数)も作っていたそうです。彼の家は配線だらけとなり100年前に既に電化住宅となっていたとのこと。ただし、なかなかおいしいごはんは炊けなかったそうで、同僚らは、右一宅の炊飯器で炊いたご飯のことを大森めしと呼んでいたとか。(当時、彼は東京の大森に住んでいたので)
彼の無線電信分野における功績はあまりにも大きいため、世界中の数々の文献の中に出てきます。ローマ字表記のWichi Torikataで検索してみてください。です。(まれにUichi Torikataとしているものもあります。)
参考までにこちらも(JP)
http://sme.fujitsu.com/tips/japanesespirits/20091001/
http://park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_ht/HT912020_j.html
http://www.ab.auone-net.jp/~tyk100/Index.htm
鳥潟小三吉:国際的軽業師。今の言葉でいえば「サーカス」といったほうがわかりやすいでしょう。"Troupe Torikata"として、世界中で公演をして有名となる。ドイツ興行中にはドイツ皇帝にも招かれており、帰国後、花岡(現在の鳥潟会館駐車場の位置)に豪壮な洋館を建築。一時は花岡小学校の校舎として使用されたことも。彼の倉庫は私がこどもの頃まだありました。"Troupe Torikata"などで検索してみてください。欧州などでの公演記録が出てくると思います。